大相撲の境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さんは、今年3月の春場所13日目の取組で、相手からすくい投げを食らった際に頭から土俵に落ちました。その直後には意識はありましたが、うつぶせ状態のまま立つことができず、その後病院へと搬送され容体が心配されていましたが、4月28日に急性呼吸不全のため亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
今回は、響龍さんのプロフィールや経歴、結婚はされていたのか?等の情報をまとめてみましたので、ご紹介します。
響龍さんのプロフィール
- 響龍(ひびきりゅう)
- 本名:天野光稀(あまの みつき)
- 生年月日:1993年3月17日(28歳)
- 出身地:山口県下関市
- 身長:179cm(R3年3月時点)
- 体重:142㎏(R3年3月時点)
- 所属部屋:境川(さかいがわ)
- 改名歴:天野光稀→豊関山光稀→響龍光稀
- 初土俵:平成23年5月
- 最高位:3段目24枚目
- 生涯戦歴:195勝206敗5休
響龍さんは、山口県下関市の出身で、豊浦町の県立響高校に進学し、相撲部へ入部します。
当時、既に身長178cmで体重140kgと当時の写真を見てもわかるように、高校生離れした体格でした。
相撲部では主将も務め、全国高校総体で高校2年時にベスト16、そして高校3年時にベスト32の成績を残しています。
そして、高校卒業を控えた2011年2月に、中学生の頃から出稽古に行っていた境川部屋の境川親方と共に上京し、5月の技能審査場所で初土俵を踏みました。
2011年当時は大相撲の八百長問題で春場所が休業し再開の目処が立たない状況でしたが、本人の意志は固く、入門を果たしています。
そのときには、「豊響関のような、立ち会いから当たって一気に攻める相撲を目指したい」と意気込みを語られていました。
そして、豊響さんが十両優勝した際にも
やったー!!!!!
豊響関の十両優勝やー!!!!!
最近は怪我との闘いで関取の悔しさも歯がゆさも一番身近で感じてきて、今回の優勝はほんとに嬉しい(*´∀`)
この先輩の大きな背中を追っかけて僕も頑張りたいと思います!— 響龍光稀 (@hibikiryu0317) March 26, 2017
こんなツイートをされていました。入門時から目標としていた豊響さんの背中をずっと追い続けていたんですね。
響龍さんの経歴
響龍さんが通っていた県立響高校は相撲の名門校として知られています。
同高校出身の力士は、響龍さんが入門時に目標としていると語っていた豊響(とよひびき)さんと勝誠(しょうせい)さんがいますが、2人共、響龍さんの相撲部の先輩であり、響龍さんと同じ境川部屋に所属されています。
また、この3人に共通するのが、しこ名に「響」が入っているという点。「勝誠さんには入っていないじゃないか」と思われるでしょうが、改名前のしこ名は「薩摩響(さつまひびき)」でした。
豊響さんの「豊」は出身地の下関市豊浦町と母親の名前「豊美」の「豊」、「響」は出身校の響高校の「響」に由来する。
引用:Wikipedia
とあることから、響龍さんと薩摩響さんの「響」も同じ響高校からの由来かと思われます。そう考えると、響高校にとってこの3人は、本当に誇らしい存在でしょうね(^^♪
ただし、残念ながら2020年3月をもって閉校となり、現在は、豊北高校と統合して「山口県立下関北高等学校」となったそうです。
なお、出身中学に関しては、情報がありませんでした。
響龍さんの家族や結婚は?
家族や結婚についても調べてみましたが、家族についての話は、以前おばあちゃんの話をツイートされていましたが、それ以上の話はありませんでした。
また、奥さんやお子さんについての話も見つからない為、結婚はされていないようです。
まとめ
響龍さんの経歴やプロフィールを見てきました。ご家族や結婚に関しては詳しい情報がありませんでしたので、独身だったようです。
また、今回の事故によって亡くなられたことに対して、土俵上で動けなくなり救急搬送されるまでの対応が問題視されていました。単なる事故として終わって欲しくないですし、今後二度とこのような悲しいことが起こらないように、しっかりとした体制作りを早急にしてもらいたいところです。